御由緒

御祭神は、木之花咲夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
当神社は旧名を「伊副神社」と言い(延喜式神明帳愛智郡の項記載)千数百年の歴史を有する近郷無双の古社である。その後、猿投古窯群の北遷により一時衰退の時期を経るが中世富士山信仰の勃興により、「祐福寺」の護法神、富士山権現として信仰される。この様に鎌倉時代達智上人の開山により祐福寺奥の院として「富士浅間の大神」が勧請され、爾来、子供の守り神として尾張、三河より多くの御参りがある。1560年桶狭間の合戦に於いて、今川方の残党により焼失の難に遭ったとの記録されている。明治5年神祇官令により寺領の一部が神域となり、明治44年には春木屋敷に有った須佐之男社・金毘羅社を合祀「共進指定社」となる。太平洋戦争の敗戦により昭和21年神社本庁が設立され、愛知県神社庁所轄「5等級社」となる。15000坪の社有地を有し、四季折々の花が咲き参拝者に喜ばれている。                                 コノハナサクヤヒメの命は子供の神様、虫封じの神様として知られ北の尾張富士(犬山市)に相対し愛知郡は基より豊田、岡崎、西尾等三河地方の参拝者が多い。今は枯渇して無いが、熱田神宮の「井戸のぞき」は当神社よりの伝承と言われている。脇殿御祭神より農業・疫病・厄除け・の神とも言われる。日本の臍土地神として地鎮祭等の工事安全の祈願も多い

 

御祭神                                                 木花咲夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)は、大山祇神の御息女にして大変美しく、天孫,瓊々杵尊(ニニギノミコト)の皇后となられた御方です。命はご懐妊の際、貞節を疑われたことから証を立てるため、戸の無い産屋を建て、周りに火を放ち御出産になられました。そして、無事3人の皇子を生まれたという故事にちなみ、家庭円満・安産・子安・水徳の神とされ、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織等の守護神として全国的な崇敬を集めています。  御子の内の御二人は「海幸彦」『山幸彦」となります。また、曾孫が初代天皇「神武天皇」になり、神話・歴史の端境期の大変重要な親神様で有ります。                           大山祇神(オオヤマヅミノカミ)神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表す。すなわち、山、海の両方を司る神ということになる。大山祇神社が島に存在することもあり、三島信仰では海神としての性格が強くなっている。
また、木花之開耶姫が彦火火出見尊(ひこほほでみ)を生んだことを喜んだオオヤマツミが、天甜酒(あめのたむざけ)を造り神々に供げたとの記述もあることから、酒造の神・酒解神ともされている。このほか、軍神、武神としても信仰されている。