神社の御話し
全国には8万社の神社が有ると言われています。明治中期~大正初期に至る「神社集合令」に依って5分の1に削減、合祀されたといっても、未だに沢山の神社が神代の時代から祭られて来ております。
兼務神社の中でも代表的な神社について、以下に引用解説しております。
神 宮
神宮には、天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心とし、十四の別宮と四三の摂社、二四の末社、三四の所管社、八の別宮所管社を合わせて一二五の宮社に神様が祀られている。これらの宮社すべてをふくめて「神宮」と云う。
皇大神宮(内宮)
天照大御神は、最も鄭重にその御名を「天照坐皇大御神」と称えられている。
そのお姿は『日本書紀』(神代上一に「光華明彩・六合照徹」と称えられるように、天地に照り徹る、光輝くばかりに美しい神様であり、その御名から拝することができるように、太陽のごとく、すべてのものに恵みを与えて下さる最も貴い神様で、私達が敬慕する皇室の御祖神様である。また、日本人の大御祖神様、総氏神様としても尊ばれている。
高天原からの天孫降臨以来、「三種の神器」の一つである「八咫御鏡」は大御神の神勅(言葉)により、歴代の天皇が皇居内において常にお側近くに祀られている。
しかし、第十代崇神天皇の御代、天皇はその御神成を畏まれ、皇女の豊鍬入姫命を御杖代として命じられ、皇居より大和の笠縫邑(現在の奈良県桜井市三輪山の麓)に達して祀られた。(斎宮の始まり)
そして、第十一代垂仁天皇の御代、さらに佳き大宮地を求めて天皇の皇女倭姫命が、大和・伊賀・近江・美濃・伊勢などの国々を巡られた後、伊勢の度会の宇治の五十鈴川の川上に到られたとき、是の神風の伊勢國は、常世之浪重浪帰する國なり。傍國の可怜國なり是の國に居らむと欲ふ。『日本書紀』巻第六(垂仁天皇)との大御神の神意を受けられて、現在の地に祀られたと伝えられる。
この御鎮座は、垂仁天皇二十六年(西暦・紀元前四年)丁巳秋九月甲子(十七日)と伝えられ、過日の平成八年には御鎮座二千年と云う意義深い佳年を迎えた。
神宮の創始以後は別の神鏡を宮中の賢所に奉安されている。
天照大御神が皇居外に祀られたことは、わが国の飛躍的な発展の時期と深い関係があるとされ、その広大無辺なる御神徳をすべての国民に光被され、天皇陛下を中心として国民一体となり理想の国づくりをすすめることを意味し、これについては大御神が神勅で示されている。ここに神宮祭祀の本義がある。
神明社(しんめいしゃ)
神明とは、「天地神明に誓って」「神明の加護を得て」と云うように、ひとつには広く神様を意味する場合と、もうひとつには特に天照大御神をさす場合とがある。全国には約一万八千社の神明社(神明宮・神明神社)があり、主に後者の意味で、伊勢信仰が盛んになるにつれて、伊勢神宮の祭神が各地に祀られるようになった。
天照大御神は皇室の御祖神であり、豊受大御神は生命の糧である食物を掌る神である。伊勢神宮は国民の総氏神、全国神社の根本社と仰がれ、特に本宗と呼ばれている。
祭神や由緒等、伊勢神宮と関わりのある神社の名称としては、神明社が一般的であり、その他に大神宮、皇大神社、豊受神社、御厨神社、天祖神社等がある。
八幡神社(はちまんじんじゃ)
八幡神社(八幡宮、八幡社)は全国に約二万五千社あると云われる。祭神は主に応神天皇(誉田別命)、比畔(売)大神、神功皇后(息長帯比売命)の三神である。応神天皇の親神の仲哀天皇や御子の仁徳天皇を加える場合、比売大神を宗像三女神や玉依姫命とする場合などがみられる。
八幡信仰は、奈良時代より皇室の崇敬をうけ、隼人征伐や大仏開眼の援助をした宇佐神宮(宇佐八幡)から起った。貞観二年(八六〇)僧行教によって京都男山に石清水八幡宮を勧請、その後鎌倉に鶴岡八幡宮が創建され全国に祀られるようになった。八幡様は武人の神として外敵防護、領内鎮護の神とあがめられ、民衆の神としても祀られている。
応神天皇と神功皇后は大陸の文化を積極的にとり入れ、古代日本における文化の向上、国家の発展に早くされた。また母(神功皇后)と子(応神天皇)の関係から、母子神の信仰があり、母の慈愛と子供の成長は一般民衆の広い共鳴を得ている。
また、武内宿彌は家主忍男武雄心命と影媛の子である。景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五天皇に任え、なかでも神巧皇后の功臣として知られる伝承的人物であり、審神者(清場から転じて神託を掌る者)として宗教的役割も担ったとされる。
浅間神社
霊峰富士山への信仰である。浅間神社は富士山が見える地域に分布し、代表的な神社には、富士宮市の富士山本宮浅間大社、静岡市の(静岡)浅間神社、富士吉田市の北口本宮富士浅間神社、山梨県一宮町の(甲斐)浅間神社等がある。祭神は木花開耶姫命で大山紙神の姫神であり、秀麗な富士山を桜の花の美しさにたとえた御名である。
浅間は「あさま」とも読み、「あさくま」(浅隈)の意味で、湧水の起源をあらわす言葉と考えられる。富士の山麓から湧き出る清水の神秘さと恩恵、特に田をうるおす農耕への信仰の原点にあったと思われる。
浅間神社は別名を富士神社、富士山神社などの社名でも呼ばれている。
靖国神社・護国神社
東京九段の靖国神社は、明治維新の殉難者を始め諸事変、戦役において国事に生命をささげた人々の英霊二百四十余万柱(神)を祀る。明治二年に建てられた東京招魂社が前身で、同十二年に靖国神社と改称された。靖国は国を平安にし、平和な国をつくるという意味があり、身命を捧げられた人々を祀る神社である。
北海道及び各府県には護国神社があり、その都道府県出身の護国の英霊を祀る。名称は昭和十四年から使われ、前身は各地の招魂社で、幕末から明治十年前後にかけて最も多く創建された。全国には五十三社の護国神社を数え、日本の国の為に尊い生命を捧げられた人々の御霊に感謝と故意の心で慰霊する人々が絶えない神社である。
全国には8万社の神社が有ると言われています。明治中期~大正初期に至る「神社集合令」に依って5分の1に削減、合祀されたといっても、未だに沢山の神社が神代の時代から祭られて来ております。
兼務神社の中でも代表的な神社について、以下に引用解説しております。
神 宮
神宮には、天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心とし、十四の別宮と四三の摂社、二四の末社、三四の所管社、八の別宮所管社を合わせて一二五の宮社に神様が祀られている。これらの宮社すべてをふくめて「神宮」と云う。
皇大神宮(内宮)
天照大御神は、最も鄭重にその御名を「天照坐皇大御神」と称えられている。
そのお姿は『日本書紀』(神代上一に「光華明彩・六合照徹」と称えられるように、天地に照り徹る、光輝くばかりに美しい神様であり、その御名から拝することができるように、太陽のごとく、すべてのものに恵みを与えて下さる最も貴い神様で、私達が敬慕する皇室の御祖神様である。また、日本人の大御祖神様、総氏神様としても尊ばれている。
高天原からの天孫降臨以来、「三種の神器」の一つである「八咫御鏡」は大御神の神勅(言葉)により、歴代の天皇が皇居内において常にお側近くに祀られている。
しかし、第十代崇神天皇の御代、天皇はその御神成を畏まれ、皇女の豊鍬入姫命を御杖代として命じられ、皇居より大和の笠縫邑(現在の奈良県桜井市三輪山の麓)に達して祀られた。(斎宮の始まり)
そして、第十一代垂仁天皇の御代、さらに佳き大宮地を求めて天皇の皇女倭姫命が、大和・伊賀・近江・美濃・伊勢などの国々を巡られた後、伊勢の度会の宇治の五十鈴川の川上に到られたとき、是の神風の伊勢國は、常世之浪重浪帰する國なり。傍國の可怜國なり是の國に居らむと欲ふ。『日本書紀』巻第六(垂仁天皇)との大御神の神意を受けられて、現在の地に祀られたと伝えられる。
この御鎮座は、垂仁天皇二十六年(西暦・紀元前四年)丁巳秋九月甲子(十七日)と伝えられ、過日の平成八年には御鎮座二千年と云う意義深い佳年を迎えた。
神宮の創始以後は別の神鏡を宮中の賢所に奉安されている。
天照大御神が皇居外に祀られたことは、わが国の飛躍的な発展の時期と深い関係があるとされ、その広大無辺なる御神徳をすべての国民に光被され、天皇陛下を中心として国民一体となり理想の国づくりをすすめることを意味し、これについては大御神が神勅で示されている。ここに神宮祭祀の本義がある。
神明社(しんめいしゃ)
神明とは、「天地神明に誓って」「神明の加護を得て」と云うように、ひとつには広く神様を意味する場合と、もうひとつには特に天照大御神をさす場合とがある。全国には約一万八千社の神明社(神明宮・神明神社)があり、主に後者の意味で、伊勢信仰が盛んになるにつれて、伊勢神宮の祭神が各地に祀られるようになった。
天照大御神は皇室の御祖神であり、豊受大御神は生命の糧である食物を掌る神である。伊勢神宮は国民の総氏神、全国神社の根本社と仰がれ、特に本宗と呼ばれている。
祭神や由緒等、伊勢神宮と関わりのある神社の名称としては、神明社が一般的であり、その他に大神宮、皇大神社、豊受神社、御厨神社、天祖神社等がある。
八幡神社(はちまんじんじゃ)
八幡神社(八幡宮、八幡社)は全国に約二万五千社あると云われる。祭神は主に応神天皇(誉田別命)、比畔(売)大神、神功皇后(息長帯比売命)の三神である。応神天皇の親神の仲哀天皇や御子の仁徳天皇を加える場合、比売大神を宗像三女神や玉依姫命とする場合などがみられる。
八幡信仰は、奈良時代より皇室の崇敬をうけ、隼人征伐や大仏開眼の援助をした宇佐神宮(宇佐八幡)から起った。貞観二年(八六〇)僧行教によって京都男山に石清水八幡宮を勧請、その後鎌倉に鶴岡八幡宮が創建され全国に祀られるようになった。八幡様は武人の神として外敵防護、領内鎮護の神とあがめられ、民衆の神としても祀られている。
応神天皇と神功皇后は大陸の文化を積極的にとり入れ、古代日本における文化の向上、国家の発展に早くされた。また母(神功皇后)と子(応神天皇)の関係から、母子神の信仰があり、母の慈愛と子供の成長は一般民衆の広い共鳴を得ている。
また、武内宿彌は家主忍男武雄心命と影媛の子である。景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五天皇に任え、なかでも神巧皇后の功臣として知られる伝承的人物であり、審神者(清場から転じて神託を掌る者)として宗教的役割も担ったとされる。
浅間神社
霊峰富士山への信仰である。浅間神社は富士山が見える地域に分布し、代表的な神社には、富士宮市の富士山本宮浅間大社、静岡市の(静岡)浅間神社、富士吉田市の北口本宮富士浅間神社、山梨県一宮町の(甲斐)浅間神社等がある。祭神は木花開耶姫命で大山紙神の姫神であり、秀麗な富士山を桜の花の美しさにたとえた御名である。
浅間は「あさま」とも読み、「あさくま」(浅隈)の意味で、湧水の起源をあらわす言葉と考えられる。富士の山麓から湧き出る清水の神秘さと恩恵、特に田をうるおす農耕への信仰の原点にあったと思われる。
浅間神社は別名を富士神社、富士山神社などの社名でも呼ばれている。
靖国神社・護国神社
東京九段の靖国神社は、明治維新の殉難者を始め諸事変、戦役において国事に生命をささげた人々の英霊二百四十余万柱(神)を祀る。明治二年に建てられた東京招魂社が前身で、同十二年に靖国神社と改称された。靖国は国を平安にし、平和な国をつくるという意味があり、身命を捧げられた人々を祀る神社である。
北海道及び各府県には護国神社があり、その都道府県出身の護国の英霊を祀る。名称は昭和十四年から使われ、前身は各地の招魂社で、幕末から明治十年前後にかけて最も多く創建された。全国には五十三社の護国神社を数え、日本の国の為に尊い生命を捧げられた人々の御霊に感謝と故意の心で慰霊する人々が絶えない神社である。